アラフィフが快適に生きて行くために試行錯誤するblog

人生もう長くはない。毎日ちょっとずつでも嫌なことを排除して楽しい人生にしていきたい。

旦那さんに女として見てもらえなくて悲しかったけど、これもありがとうで納得した話

私は旦那さんが基本的には大好きです

 

愛と憎しみは表裏一体だというけど

まさにそうで

憎むときは誰よりもに憎いと思う存在

 

いっそ居なくなってほしいと思う

 

愛しているのに愛を返してもらえないとき

でも自分のこの愛は、きっと本物じゃないと思います

愛でなくて愛情

 

旦那さんのことを男として愛している

母のような無償の愛ではないわけです

 

だから、愛してもらえなくても愛せるとか

そういうのじゃない

向こうから愛を受け取れないと思えたときは

非常に腹が立ち、憎むわけなんです

 

例えば

ハグを拒否されたりとかね

ちょっと嫌そうにされたときとか

自分を女としてみてくれないことに

絶望を感じるのです

 

私は旦那さんに対して

まだ色恋の感情を持っています

 

しかし残念ながら

旦那さんは私に対して欲情することはもうないみたいです

 

悲しいです

 

でも、その部分がないと私は壊れてしまうことを

旦那さんに告げ

半強制的に抱いてもらえるようにお願いをしているのです

 

↑これ伝えて理解してもらえるのに何年も掛かった・・

 

これからどんどん外見は衰えるのみです

 

ジタバタするなよ、ということです

 

外見の魅力で旦那さんの気を引くことはもう不可能

周りには素敵な女性がたくさんいます

 

男性は女性の外見で、判断します

恋心を持ちます

 

そこで私は、嫉妬心に駆られるわけなのです

他に好きな人がいるのではというやつです

 

長いこと、私はこの最悪な感情に苛まれ続けました

 

この嫉妬という感情は非常に曲者です

 

自分では抑えられない どうしても

苦しい 醜い 自分が嫌い

自分に魅力がないのをわかっているから

自分の力ではどうにもできない

 

肉体は衰える

 

小林正観さんの教えの中には

あまりこの嫉妬について書かれている事が少なくて

 

小林正観さん自身あまり苦しまれたことのない感情なのかなと思いました

だって優秀ですしね、彼は

 

きっと女性にもモテモテだったことでしょう

 

男性はいいな、内面の魅力でもモテるんだから

 

女性はどんなに綺麗事言ったって

パッケージで勝負なんです

 

パッケージが悪ければ開けてももらえない

 

私は外見は年の割にはきれいなんじゃないだろうかと思っています

 

努力もいっぱいしてきました

無駄な努力でしたが

 

私が生きてきた中で

一番欲しいものは旦那さんからの愛

女としてみてもらえて欲情もしてもらいたい

 

若かったら努力したらなんとかなることも

今はもうどうあがいても無理って感じで・・

 

欲情はしてもらえません

奥さんとしては愛されていると思います

 

それなら贅沢言うんじゃないって

言われそうですが

欲しいものは欲しいんです

 

浮気なども考えても見ましたが

嬉しくない

 

旦那さんがいいんです

 

そこで散々考えた結果

ある結論に達しました

 

長年連れ添っても

嫉妬を感じることができる旦那さんを持てた私は

めちゃくちゃ幸せってことです

 

毎日旦那さんをみてトキメケる

って、多くの女性が羨ましく思うことではないでしょうか

 

旦那さんが外でなにをしているかしりません

もしかしたら浮気もしているかもしれません

だがしかし

 

奥さんとして大事にしてもらえている

嫉妬を感じれるような素敵な旦那さんである

 

この2点だけでもう私はどれだけ幸せでしょうか

 

自分の醜い感情は、これを理解したときに

消えたんです

 

旦那さんがなにしていようが関係ない

 

私は欲情はされなくても愛されていて

大事にされていて

そしてそんな旦那さんを私は嫉妬するほど男として好きであるということ

 

逆のパターンが世の中には多いと感じます

 

女性が男性に対して男としては見れない

だけど、旦那サンとしてなら最高 とかね

 

↑の立場ならほんとうによかったんだけど

 

まずは感謝しよう

今の旦那さんに

 

不平不満を言っているのは

神様にいま頂いているものでは満足できません!

って宣戦布告しているようなもの

 

絶対に勝目はない笑

そして、神様はそんな人を応援してくれたりはしないよね

 

結局、嫉妬に対する対処法も

『ありがとう』

だったのでした